至福の神秘体験
その頃、私はごく普通のサラリーマンでした。
中部地方にある電力会社に就職が決まり、入社後は半年間、研修センターで寮生活を送ることになりました。
新しい生活に胸を躍らせていたものの、その日常は突然、思いもよらない知らせによって引き裂かれました
――「母が癌だ」と。
その時の衝撃は言葉では言い表せません。
母の癌は進行が早く、すぐに大病院での手術が必要だと医者から告げられました。
しかし、その手術には大きな代償が伴うものでした。
「手術が成功すれば、あと3年は生きられるかもしれません。
ただし、顎の骨のあたりを中心に大きく切除する必要があります。
それによって顔の半分が失われ、今までのような生活は二度と送れないでしょう。」
さらに、手術をしなかった場合の余命は、わずか3〜6か月程度だとも言われたのです。
苦労して私を育て、何もかもを犠牲にして家族のために尽くしてきた母。
そんな母が、地獄のような二択を突きつけられる――
私は到底、受け入れることができませんでした。
「なぜ母がこんな目に遭わなければならないのか?」
私はこの世界を絶対に受け入れることができませんでした。
絶対に許せませんでした。
何かに向かって心の中で叫びながらも、何もできない自分に苛立ち、絶望しました。
その時、頼れるものはただ一つ、神に祈ることだけでした。
それまでの私は、神の存在など考えたこともありませんでした。
神というものは、どこか遠い世界の話だと思っていたのです。
しかし、母の命を前にした私は、無我夢中で神にすがりました。
祈りというよりも、必死の交渉でした。
「母の命を10年延ばしてください。
その代わりに、タダでとは言いません。
そんな都合の良いことは言いません。
私は代わりに、この命を捧げます。
母の命をあと10年延ばしてくれるのなら、
私の残りの人生は、あと10年でかまいません。
私の残りの命と、母の命を交換してください。」
なぜそう言ったのかはわかりません。
しかしその言葉に偽りはありませんでした。
私に差し出せるものと言ったら、自分の命くらいしか思いつきませんでした。
私は命をかけて祈りでした。
すると、不思議なことが起こりました。
父が突然、「手術はさせない」と言い出したのです。
それまで医者の言葉を重く受け止め、半ば諦めかけていた父が、まるで何かに突き動かされるようにして、母をかなり強引に退院させたのです。
そして外科的手術を一切行わず、いくつかの民間療法を組み合わせる形で治療を始めました。
不思議なことは、さらに続きました。
民間療法を受ける母の体調は、日に日に快方に向かい、次第に元気を取り戻していったのです。
手術なしで、まさかこんなにも回復するなんて――
私は本当に驚き、喜びました。
それは本当に奇跡のような出来事でした。
私は神は本当にいるのだと思いました。
そして深く深く神に感謝しました。
神が私の祈りを聞き届けてくれたのだと、私は心から信じました。
しかし同時に、私は強く確信していました。
「神との約束通り、自分の命は間違いなくあと10年なのだ」と。
私は残りの10年という命の中で、母に私が立派になった姿を見せたいと思いました。
私は当時20代の無知で、どこにでもいるような普通の若者でした。
当時の私にとって「立派になる」とは、たくさんのお金を稼ぎ、高級車に乗ることでした。
今思えば本当に無知で幼稚な考えですが、なぜそう思ったかというと、
当時 私が勤めていた電力会社のお客さんは電気工事関係の方々で、若くして独立した人でもほんの数年でたくさんのお金を稼ぎ、
高級車で電力会社にやってくる姿をたくさん見てきたから、無意識にそう思ったのだと思います。
※ この当時は今から30年前、バブル経済が終わりかけていた頃の平成の時代の話です。
※ 今とは人の意識や社会的価値観などかなり違うので、そのあたり汲んでお読みいただけると嬉しいです。
神は末期癌の人間も奇跡のように治癒してしまう存在・・・。
そのような超弩級の存在が相手なのだから、とにかく私の命も母の命も、あと10年しかないと思いました。
私はのんびりサラリーマンを続けていることはできないと思いました。
1日でも早く、短期間で私は成功して立派になった姿を、母が生きている間にそれを見せたいと思いました。
それから私は、ある一定の期間 ほぼ全員が残業する中、定時きっかりに会社を出て、それから深夜までアルバイトをして開業資金を作りました。
アルバイトから帰り深夜4時頃に眠って、翌朝7時頃起きて会社に出社するというような生活をしばらく続け、開業資金を作りました。
それからまもなく会社を辞め、独立して私は、さらにがむしゃらに働きました。
一応、あと10年は母は生きているはずですが、それは何の保証もない話です。
もしかすると、それよりずっと早く亡くなってしまう可能性もあると思っていました。
だから 1日でも早く私は成功した姿を母に見せたいと思いました。
あなたの生んだ息子は立派になりましたよと、そのような姿を見せることがせめてもの母への恩返しに思えました。
私は決して「母が大好き」なマザコンというわけではありませんでした。
反抗期の時には「うるせぇ!クソババア!」などと言う、その当時どこにでもいるような、やや不良っぽい感じの平均的な男子だったと思います。
今思うと、私は母が生きている間に、感謝の表現として恩返しがしたかったのだと思います。
幸運なことに私は、独立してすぐに成功することができました。
小さな店をオープンし、翌年には2号店を出店。高級車も手に入れました。
今考えると本当に無知で幼稚な発想なのですが、当時はこれが最善のことだと思っていました。
病気を克服した後、父の経済状況が好転し、母は国内や海外へ旅行に行ったり、趣味を楽しんだりと積極的に人生を謳歌しました。
神は私の願いを本当に叶えてくれました。
母の笑顔を見るたびに、神への感謝の気持ちが込み上げました。
神に祈ってから7年後、仕事をしている最中に、突然 私は「自分が死ぬ」という予感を感じました。
「時が来ました」
「時が来ました」
そのような言葉が3日間、私の頭の中で繰り返し響きました。
私は、自分はあと3日間ぐらいの間に死ぬだろうと思いました。
私が祈ってから7年経過しての出来事だったので、予定の10年よりも少し早いなと思いましたが、それでも私は満足していました。
改めて私は神に感謝しました。
神は私の祈りに応えてくれた。
次は私が神との約束を守る番だと思いました。
どのように死んでも構わないと思いました。
私は死を受け入れました。
不思議と恐怖はありませんでした。
神の好きにしてもらえばいい、そんな気持ちでした。
そして――死の予感から3日後、それは突然起こりました。
突然 私はとてつもない至福に包まれたのです。
それは言葉では言い表せないような強烈な至福感です。
今まで一度も味わったことのないような強烈な感覚でした。
幸福感などという、ふわっとしたものではありません。
幸福感とはまったく次元が違う、この世の体験とは異なる圧倒的な感覚です。
思考も感情も自我も、すべて吹き飛ぶような感覚です。
その至福感は三日三晩続きました。
至福の中に包まれている間、私の中にある未解決の感情や癒されていなかった傷が、次々と自動的に癒されていきました。
オセロが黒から白に裏返るようにすべての過去が愛と光に変わり、癒されていなかった出来事はどんどん愛の出来事に変わっていきました。
私は走馬灯を見ているように、ただ見ていました。
3日以降になると、至福感は徐々に消えていきました。
至福感が去った後も、私は生きていました。
しかし私は、この3日間の至福体験によって、3日前の人間とは別人のようになってしまいました。
3日前までは本当に、普通にどこにでもいるような20代の男でした。
それが至福体験の後は、まるで悟りを開いたお坊さんのような感覚になってしまいました。
(※ 悟りを開いたお坊さんのような感覚も、月日と共に次第に薄れていくことになります)
3日前までの私は、本当に死んでしまいました。
見た目は全く変わっていませんが、私は本当に完全に新しい自分になってしまいました。
神はこのように私を殺しました。
肉体的に私を殺すのではなく、エゴまみれの自我の私を殺して、真新しい私として人生を歩めるようにしてくれました。
私は本当に神に感謝しました。
神は私の想像をはるかに超えたようなかたちで、私との約束を実行しました。
神は本当に粋(いき)な存在だと思いました。
そして私は、神に返しきれない恩を感じました。
これからの人生は、神に恩返ししたいと願うようになりました。
このような出来事が、私が20代に体験した出来事です。
至福の一瞥体験です。
このようにして、この後 私は神に恩返しするために生きるようになっていくことになります。
しかしその数年後に地獄のような神の裏切り体験をすることになるとは、この時はまだ夢にも思っていませんでした。
