神との合一体験
奇跡講座のワークブックレッスン41には、このように書かれてあります。
「神に到達することは可能である」
「実際それは非常に容易なことである」
「それは世界で最も自然なことだからである」
「世界で唯一の自然なことだとさえ言えるかもしれない」
私が神との合一を体験したのは、2023年の秋頃でした。
神との合一体験が起こると、大きな認識の変化が起こりました。
それは自我が消滅して全体が私、大いなる意識としての私になったとか、
非二元、ノンデュアリティで語られているような類の体験とは、まったく異なります。
それは神聖な光との一体化というか、全宇宙との一体化というか、宇宙の真理との一体化のようなものです。
それは目に見えない領域での出来事で、一瞬で体験されるものです。
そして神聖な理解が一瞬でやってきます。
文字通り「神と一つになる」体験、「それそのものになる」体験です。
私にとって、それは夢から覚める瞬間に感じられました。
それは記憶喪失から戻る瞬間のようであり、ようやく収まるところに収まった感覚、
そして一番しっくりくる感覚、永い間 探し求めていた場所をようやく見つけた感じがしました。
言い換えると、神に帰る体験、神に戻る体験とも言えると思います。
宇宙には分割しようのない一者だけが存在し、それと完全に一つになる体験です。
「それ」が私だったと知る体験です。
何かの本を読んで理解するとか、そのようなものとは全く次元が異なる体験です。
その体験が起こると、時間や空間の制約を超越し、自分と他者、神の間に境界がないこと、
すべては一つであることを完全に理解します。
すべては私でできている。
世界のすべては、私である。
すべては愛でできている。
すべては光でできている。
私は純粋な存在であり、意識そのものであり、無限の至福である。
目に見えるすべては私である。
すべての人は、私である。
あなたは、私である。
私は、あなたである。
私以外は、存在していない。
衆生本来仏なり。
汝は神なり。
アートマン(真我)=ブラフマン(宇宙の根源的実在・絶対的真理)
私はブラフマンである。
すでにすべては癒されている。
すでにすべては愛の中にいる。
実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
とにかく、普通の状態で理解する深度を遥かに超越した理解が起こり、大きな視点の移動が起こります。
それに伴い、さまざまな変化が起こります。
いくつかの変化を挙げると、
まず直観的な知識や智慧が努力なく得られるようになります。
物事を理解するプロセスが変わる感覚が起こり、外側から情報を仕入れて論理的に分析したり、頼ったりしなくなります。
思考を超えた直観的な理解が強まり、既に内に存在している叡智から直感的・直接的にアクセスして理解する、という感覚が強くなります。
時間感覚も変容します。
過去・現在・未来という線的な時間の感覚が曖昧になっていき、どうでもよくなります。
その結果「永遠の今」に意識が集中するようになります。
物理的な時間は存在していても、心理的な時間(過去への執着や未来への不安)は消えてしまいます。
このような状態になるので、ただ一点に集中するような生き方に変化します。
判断や評価も変化します。
他者や自分自身に対するジャッジメントがほぼ消滅し、ほぼどうでもよくなります。
何を見ても愛・光だけを見るようになります。
善悪、美醜、成功や失敗といった二元的な評価が完全に無意味に感じられるようになり、どうでもよくなります。
全てのものをあるがままに受け入れる生き方に変化します。
全ての現象が一つの大いなる流れの一部として完璧であり、何が起こっても「これでいいのだ」と思うようになります。
至福でいる時間が大幅に増えます。
神との合一体験によって、外的な状況に左右されない内的な至福(アーナンダ)が持続的に感じられるようになります。
これは一時的な快楽とは異なり、深い静けさと満足感に基づくもので、言葉では表現しきれない深い喜びや満ち足りた感覚があります。
この世的な喜びや悲しみ、分離や欠如の感覚から自由になり、常に至福の中にありながら生きるようになります。
とりあえず4つほど例を挙げましたが、他にもさまざまな変化が起こります。
数えてみると、私には21もの変化が起こりました。
神との合一体験は、驚くような体験ですが、誰にでも起こる体験だと思います。
これを読んでくださっているあなたにも起こる体験です。
この体験が起こってしまえば、奇跡講座に書かれてあるとおり、
「世界で唯一の自然なことだとさえ言えるかもしれない」と、確かに言えるような気がします。
あなたは、このような体験をしてみたいと思いますか?
私はあなたと、このような体験を分かち合えたら嬉しく思っています。
今日もあなたのことを応援しています。
