分離という幻想からの解放
私たちは日常生活の中で「自分は他者や世界と別々の存在であり、個として生きている」という認識を持っています。
私は〇〇県に住んでいて、私の名前は●●、女性で、これが私の身体、私の職業は■■、私は過去にこのような経験をした、などと思っています。
このように、自分の身体、名前、職業、性格、過去の経験などを通じて「私はこういう人間である」と定義し、その個別のアイデンティティに基づいて生きていると感じています。
「私はこういう人間である」と定義しているということは、「分離した自己」と認識をしている、ということです。
しかし、この「分離した自己」という認識は、エゴの作り出した幻想です。
エゴの作り出した幻想は、真の自己、つまり「神と一つであるという本来の姿」とは全く異なっています。
なぜなら、私たちの本質は「神と一体である意識」そのものであり、時間や空間、個別の存在としての限界を超越した永遠不滅のものだからです。
このことは神との合一を経験すると、真実であるとはっきりとわかります。
「神と一体である意識」は、純粋な一元の意識であり、愛・至福そのものとしての意識です。
「神」と「わたし」という二元的な意識は、錯覚であり、幻想であり、ズレた意識です。
このズレた意識、「分離」の意識こそが、私たちに恐れや不安、孤独感をもたらします。
たとえば、
「私は一人でこの世界を生きていかなければならない」
「私は他者に認められなければ価値がない」
「私は愛されるために努力しなければならない」
といった思考は、すべて「自分が神や他者と分離している」という前提に基づいています。
純粋な一元の世界だけが真実であり、実在しています。
純粋な一元の世界に実在するものは、ただ一つのものだけです。
それは神であり、光であり、愛であり、至福であり、あなたです。
呼び方はどうでもいいです。
神との合一を経験すると、すべての幻想は消えます。
あなたは大いなる恐れや不安から永遠に解放され、探求は終わります。
分離は幻想です。
幻想は、本当ではありません。
分離という幻想を超えるには、「わたしは神とひとつである」という真理を思い出す必要があります。
これは「わたしは愛そのものである」ということです。
「本当のわたしは、本質的に欠けるものがなく、常に完全な存在である」ということを意味します。
分離という幻想を超えて「わたしはすでに満たされており、愛そのものである」という認識に戻ることが、幻想から抜け出す鍵です。
本当のあなたは、愛そのものであり、光であり至福です。
あなたに欠けているものは、何一つありません。
今日もあなたのことを応援しています。
