愛の視点から世界を見る
私たちは日々の生活の中で、世界を肉体の眼で見ています。
肉体の眼で見ている世界は、決して真実ではなく、心が作り出したものにすぎません。
私たちが世界を恐れや分離の目で見れば、その通りの世界が広がります。
そのため、私たちは目で見た世界を、本当にある世界だと思い込んでしまいます。
しかし、もし私たちが心の眼で、愛の視点で世界を見たなら、そこには全く異なるものが現れるのです。
見える世界は「世界をどのように見ているか」という心のフィルターを通して変化します。
私たちは、外の世界が「客観的に存在する」と思いがちです。
でも実際には「自分の心の投影」を見ているだけです。
まったく同じ出来事を、2人の人が経験したとします。
Aさんは「自分は愛されていない」と信じる人で、
Bさんは「愛されている」と信じている人だとします。
2人はまったく同じ出来事を経験したにも関わらず、
Aさんは出来事から「拒絶」や「無価値感」を感じ、
Bさんは出来事から「成長のチャンス」や「思いやり」を感じたりするのです。
このように何を感じ、何を体験するかは、私たちの心の状態によって変化するものです。
違う言い方で言うと、あなたの心が変われば、あなたが見る世界も変わるのです。
あなたが何を感じ、何を体験するか、変化するのです。
この世界で見るすべてのものは、私たちの心の反映です。
それは自分が作り出した幻想の世界です。
そこから解放される秘訣は、自分の感情に注目することです。
自分の感情に注目し、感じているものを認め、それを癒すことができると、世界を愛の視点から見ることができるようになります。
それを極めると、あなたは神の愛の中に生きることができるようになります。
もし今、何かに苦しんでいるなら、その知覚が真実ではないと気づいてください。
そして「私は自分の感情を癒し、この世界を愛の視点で見ることを選びます」
と決意し、心の中で宣言してみてください。
その瞬間から、あなたの心は平安へと向かい始めます。
奇跡は、あなたにとって縁遠いものではありません。
奇跡は、あなたの心の選択次第でいつでも起こるものです。
あなたが愛の視点で世界を見たとき、その瞬間、奇跡は起こるのです。
奇跡が起こるのは、世界の見え方が変わったからです。
以前は敵だと思っていた人が、大切な兄弟のように見えてくる。
失敗だと思っていた出来事が、じつは学びや成長の貴重な機会だったと気づく。
奇跡が起こると、世界の見え方は一変します。
それまで苦しんでいたことさえも「愛の出来事」へと変わるのです。
肉体の眼によって見る愛の視点は、このように奇跡を起こします。
しかし、肉体の眼によって見る愛の視点を、さらに超える視点があります。
それが冒頭にも書いた「心の眼によって見る愛の視点」です。
心の眼によって見る愛の視点は、世の中の出来事に何も影響されません。
この世界とは無関係です。
それは肉体の目にまったく頼っていないからです。
それは曇り・雨・雪などの天候に、太陽がまったく影響を受けないのと似ています。
「心の眼」によって見る愛の視点は、神との合一体験の後に固定されるものです。
神との合一が起こると、そこに視点は固定されます。
そうなると、肉体の目に何がどう映ろうとも、まったく影響を受けなくなります。
「心の眼」で見える世界は、常に一つの愛・光しか見えないからです。
「心の眼」は、愛・光をストレートに見る眼なのです。
だから何を見て、何を体験しようと、常に、愛の視点からすべてを眺めるようになります。
それは慈悲に満ちたものです。
それは至福に満ちたものです。
「心の眼」によって見る愛の視点を持つ人は、常に純粋な光だけを見て、純粋な愛だけを見ています。
それには何の努力も訓練も必要ありません。
夜空を見上げて月を見る時、何の努力も訓練も必要ないのと同じことです。
何の努力もなく、それを見るのです。
「心の眼」によって見る愛の視点を持つことは、誰にでも可能です。
それは本当は、今すでに達成されていることです。
ただ、そう見えないということは、今ほんの少しだけフィルターが曇っているだけです。
曇りが取り除かれると、誰でも「心の眼」によって愛の視点からすべてを眺めることができるようになります。
それはあなたにとって、当然のことです。
あなたは、本当は愛そのもの、至福そのもの、光そのものですから、とても自然なことなのです。
今日もあなたのことを応援しています。
