分離の終焉
分離の幻想は、いつか終焉を迎えます。
アイデンティティのお引越しが起こると、分離の幻想の終焉とはどういうものなのか、直接体験を通じて知ることになります。
奇跡講座には「赦し」が大切だと書かれていますが、分離の幻想の終焉に至ると、「赦しさえ不要な世界」を知ることになります。
それは「赦すべき罪など、もともとなかった」と完全に悟り、そこに留まっている視点です。
「相手が何かをしたという知覚そのものが幻想だった」と認識し、歓喜(至福)が起こり、そこに留まっている境地です。
それは、赦しのプロセスすらも通り抜け、超越しています。
「そもそも何も赦す必要などなかった」という世界の視点に完全に至った意識状態、
それがアイデンティティのお引越しが起こった人たちの境地です。
赦しさえ不要な世界は、本当に存在します。
それは一元の世界にあり、唯一、本当に実在している世界です。
罪も攻撃も、実際には起きておらず、幻想にすぎません。
身体も世界も心が投影した幻影ですが、
アイデンティティのお引越しが起こると、そのことがはっきりと、心の底からわかるようになります。
すべての存在は永遠に純粋清浄であり、誰も傷つけられていないことが、直接体験を通じてわかります。
この視点から見ると「赦し」も、本当は方便だったことがわかります。
それは「赦す」という発想及び行為自体が、“誰かが何かをした”という二元性を前提にしており、
幻想の世界でしか起こっていないことだとわかるからです。
アイデンティティのお引越しが起こると、
「他者はおらず、誰も何もしていない。」
「分離も起きていない。罪はただの夢だった。」
ということが、ごく当たり前のように直接体験としてわかります。
なので、あなたは根本的に癒されます。
そして、赦すというプロセスすら不要になっていくのです。
ネガティブな感情は、どんどん感じられなくなっていきます。
何が起きても、誰が何をしても、心が波立たなくなっていきます。
「この人は私を傷つけた」
「あの人は間違っている」
「あの人を見ているとイライラする」
という“ストーリー”も、霧が晴れるように消えていきます。
他者がいるという感覚が消失してしまうからです。
あるのは、赦しがもはや必要ないほどに癒された心と至福だけ。
最終的に、愛と平安と至福の中で、まどろんでいるような存在になっていくのです。
それは神と一つである境地です。
心眼で常に輝く光を見て、誰を見ても等しい光だけを当たり前のように見るようになります。
それが赦しの終焉であり、幻想の終焉です。
もしあなたがそのような境地に至ると、赦しが必要だと思っていたのは、
「夢の中の私が、夢の中で怒っていた」からにすぎなかった。という感覚になると思います。
そしてすべてが愛だったことに、歓喜の涙を流すことが頻繁に起こると思います。
分離の幻想は、いつか終焉を迎えます。
分離は不自然なものであり、本当に幻想です。
あなたは本当に、愛であり至福そのものです。
今日もあなたのことを応援しています。
