奇跡講座が示す「愛」と「永遠の至福」は、同一の実在
わたしたちが生涯をかけて求め続ける二つのもの
私たちが生涯を通して追い求め続ける二つのもの・・・。
それは「愛」と「永遠の至福」です。
どちらも人が心の奥で渇望し、求めてやまないもの。
しかしこの二つは「まったく同一の実在」であり、別々に存在しているわけではありません。
奇跡講座が繰り返し語る「神は愛である」という真理。
これは単なる比喩でも精神論でもなく、分離の幻想を貫く“究極の現実”を指し示しています。
ここでいう「愛」とは、日常で使うような“気持ち”としての優しさや、誰かへの好意とはまったく異なるものです。
奇跡講座の示す愛は、始まりも終わりもなく、誰かに向けて増えたり減ったりすることのない「ただ在るもの」。
「愛する/愛される」という双方向の関係によって成立する、心理的な愛情ではありません。
これは私がクラスでいつも語っているように、
愛=実在=神=至福
という、切り離すことのできない“ひとつの完全な実在”です。
なぜ私たちは「愛そのもの」であることを忘れてしまったのか
もし本質が愛そのものだとしたら、なぜ人はこれほどまでに不安や欠乏を抱き、愛や幸福を外側に探し続けなければならないのでしょうか?
その答えは「分離という幻想」にあります。
私たちは自分を神(愛)から切り離された小さな存在だと思い込み、「私」という独立した主体が外側の世界と関わりながら生きているという壮大な夢を見ています。
この夢の中では、
● 愛は外に追い求めた末に得られるもの
● 至福は努力の末に“手に入れる”もの
という誤解が生まれます。
こうして心の中には抵抗や判断が生じ、私たちは本来の「愛の流れ」から自ら遠ざかっていきます。
それはまるで、川の流れの真ん中に大きな岩を置いて水をせき止めるようなものです。
赦しが進むとき、幻想のヴェールは静かに剥がれていく
奇跡講座の学習を深め、赦しによって知覚が浄化されていくと、この分離のヴェールは静かにほどけていきます。
そしてある瞬間、衝撃的ともいえる気づきが訪れます。
「最初から、愛しかなかったのだ」
恐れ、欠乏、孤独──そのすべてが心の投影であり、実在していたのは“神の愛だけだった”。
この真実を思い出したとき、心の奥深くから温かさが溢れるように立ち上がります。
そして静寂とともに“永遠の至福”が姿を現します。
永遠の至福とは、神の愛を妨げない「心のあり方」
永遠の至福は、特別な出来事や外側の成功がもたらす一時的な快楽ではありません。
これは、神の愛に完全に包まれているときに自然と現れる“心の本来の状態”です。
至福とは、
● 心が神の愛という実在の流れを妨げていない状態
● 完全に委ね、愛とひとつになっている状態
● いっさいの抵抗が溶けた、深い静寂
のことを指します。
この至福は、愛と同じく“変化しない永遠の実在”です。
環境や状況、他者の言動によって影響されるものではなく、あなたの本質そのものとして常に存在しています。
あなたは永遠の愛であり、永遠の至福そのもの
奇跡講座が示す愛も、永遠の至福も、“外側にある何か”ではありません。
それはあなたの本性であり、この瞬間もあなたの中心に脈動し続けている真実です。
だからこそ、どれほど遠回りをしているように感じても──
あなたは必ず本来の至福へと戻っていきます。
そこに至る道は決して失われることはなく、愛はあなたを一度も見放していません。
あなたの本性は、永遠の愛であり永遠の至福なのです。
P.S.
あなたが今「本当の私って、きっともっと違うはず」と感じていたら、それはまさに「アイデンティティのお引越し」が近づいているサインかもしれません。
本当の自分を思い出すプロセスは、一人では難しく感じられることもありますが、温かい仲間と共になら、安心して歩みを進めることができます。
あなたという光が完全に輝きだす日を迎えられるよう、丁寧にサポートさせていただくのが「至福の部屋クラス」です。
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